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日産自動車の歴史


日産自動車の歴史を年号で辿ってNISSANの魅力に迫ってみたいと思います。

日産自動車株式会社(にっさんじどうしゃ、英語: Nissan Motor Co., Ltd.)の本社は神奈川県横浜市にあります。通称とブランド名は日産Nissan)。
北アメリカやヨーロッパなどの50か国では高級車ブランドのインフィニティ(Infiniti)、また新興国向けには低価格ブランドのダットサン(Datsun)を展開しています。
フランスのルノー、三菱自動車工業と共に、ルノー・日産・三菱アライアンスを形成しています。アライアンスの2017年の世界販売台数は約1061万台で世界首位なんですね。
1933年(昭和8年)創業者の鮎川義介は、個人名を会社名にはしませんでした。創立当時の日産自動車の母体となった企業グループ「日本産業」の名に込められていたのは、個人の利益を追求するのではなく、日本全体の産業を活性化させたいという決意だったのです。

1935年(昭和10年)日産は現在の横浜工場にあたる、日本初の大量生産自動車工場を始動。年間生産台数は10,000台に達し、当時どの競合車よりも手頃な価格でクルマを提供することが可能になりました。

1936年(昭和11年)「全日本自動車競走大会」と呼ばれる日本初のモータースポーツイベントシリーズに参加。このレースのため、日産は、当時最先端のテクノロジー(DOHCエンジン+スーパーチャージャー)を搭載するスペシャルマシン「ダットサンNL-75」を製作し、期待通りの性能を発揮し優勝。

1952年(昭和27年)戦時中の技術的空白を埋めるためにイギリスのオースチンと技術提携。

1958年(昭和33年)当時世界で最も過酷なオーストラリア大陸一周ラリーに自社開発のダットサン・210型で出場してクラス優勝。

1960年(昭和35年)には業界初のデミング賞を受賞するなど、創業時より技術力の高さから「旗は日の丸、車はダットサン」、「技術の日産」として親しまれ、故障が少なく高速走行を得意としたことで医者の往診に愛用されたことから「医者のダットサン」としても親しまれた。
1960年代には、オースチンのノウハウを活かし、自社技術と次世代に向けた新商品(ダットサンブルーバード310、日産セドリック30等)を次々に開発。

1966年(昭和41年)8月1日、経営難に陥ったプリンス自動車工業を通産省主導により合併。スカイライン、グロリアなどの車種と、中島飛行機・立川飛行機の流れを汲む人材を戦列に加えた。またプリンス自動車工業の宇宙開発事業を承継し宇宙航空事業部を発足させた。春には、既存の「ブルーバード」よりも安価な車種への潜在需要に応えるべく、1Lエンジンを搭載した全く新しいコンパクトセダン、ダットサンサニー1000(B10型)を発売。サニーは、日本市場でファミリーカーの爆発的需要を瞬く間に引き起こしました。直後に発売されたトヨタ・カローラと並んで、その後、長く日本の大衆車市場をけん引。車名は公募で、応募総数は当時の日本の人口の約9%に相当する約850万通に及んだという記録が残っています。この数字はそれまでになく購入しやすい大衆乗用車がいかに待ち望まれていたかを物語っています。

1969年(昭和44年)最初の「GT-R」を発売。このクルマは、純粋プロトタイプレーシングカー「日産(プリンス)R380」から数多くの技術をフィードバックし、4バルブDOHCエンジンや4輪独立式サスペンションなどの多くのレーシングテクノロジーを搭載した、前代未聞の超高性能ツーリングカーでした。GT-Rは、日本における国内ツーリングカーレースに君臨し、3年間で52勝を達成。『羊の皮をかぶった狼』と呼ばれた話はあまりにも有名。

同じ1969年(昭和44年)世界最量販のスポーツカーシリーズとして知られる「ダットサン Z/日産フェアレディZ(通称「Zカー」)」を通して、スポーツカーの世界に大きなイノベーションをもたらしました。手頃な価格帯でありながら、魅力的なスタイリングとスポーツカーとして第一級の性能を備え、かつ、日常の足としても使える高い実用性も歓迎されました。こんなスポーツカーは、Z以前にはなかったのです。それまで高嶺の花だったスポーツカーを、真の意味で「みんなのもの」にした一台と言えるでしょう。

1972年(昭和47年)高級セダン「セドリック/グロリア(230型)」に「4ドアハードトップ」シリーズを発売。現代でさえ難易度の高い、センターピラーレス/サイドウィンドーサッシュレスの設計で、クーペのような優雅なスタイリングと、後席の乗員からの独特な開放感を同時に実現。この「4ドアハードトップ」は、競合他社もすぐに追随を始め、新たな流行を生み出し、4ドアでありながらクーペ風のスタイリングをもつ「4ドアハードトップ」車は、その後も、その後の約30年間、ラグジュアリー車セグメントを独占することになります。

1973年(昭和48年)の米国環境庁 (EPA)の燃費テストでサニーは第1位となり、この間、燃費向上のための高張力鋼板およびボディの防錆性の向上のための亜鉛ニッケルメッキ合金を用いた防錆鋼板(同社では「デュラスチール」と命名)、エンジンの燃焼制御技術の開発からCAD/CAM、産業用ロボットの開発まで、「技術の日産」として先端技術分野の先駆的役割を果たしてきました。

1979年(昭和54年)日本で市販車初となるターボチャージドエンジンを搭載した高級セダン「セドリック/グロリア 430型」を発売。1970年代、世界の自動車業界が、厳しい排ガス規制や燃費効率の向上といった要求に苦悩する中、日産は、ターボチャージャーが出力向上技術というだけでなく、燃費向上技術の一つでもあるというもうひとつの側面を訴求することで、政府の認証を得ることができました。日産は、日本におけるターボエンジン車の業界トレンドを生み出したのです。


1984年(昭和59年)、高級セダンである日産ローレル(C32型)に世界で初めて電動格納式ドアミラーが搭載されました。決して先端技術ではないものの、それは誰にとっても便利な、よく考えられた機能だったため、その後、電動格納式ドアミラーの採用車は日産車に限らず、全世界に広がって現在に至ります。これは、日産の「使いやすさのイノベーション」が、世界標準を決定したという一例でもあるのです。

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